ポータルサイト「goo」の地図サービス「goo 地図」で、昭和38年の東京23区の航空写真が公開されています。
「なるほど、当時のギャンブル場を空から見てみようということか!」と考えるのは早とちり。
せっかく45年もさかのぼるのだから、「消えてなくなってしまったギャンブル場」を見てみようというのが記事の目的。
で、1枚目。
右側が後楽園球場で、その隣にあるのが後楽園競輪場。こうしてみると、野球場も競輪場もそんなに面積は変わらないものなのですね。球場の左下にあるのは、今の「ウインズ後楽園」にあたる場外馬券売場でしょうか。
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残念ながら、僕は後楽園競輪の往時を知らないのですが、資料や小説を読むと、当時はプロ野球をしのぐほどの人気を博していたとのこと。
白川道の「病葉流れて」には、このように活写されています。
「大勢のひとが建物のなかや、建物と建物の間からあふれるように出てくる。
『いったい、どこからこんなに人が集まって来るんだ?』
湯浅が驚くのも無理はない。建物の周囲、そして予想屋たちの周りには、立錐の余地がないほどのひとで押し合いへし合いの状態だった。どの顔も、熱気というより一種異様な興奮に包まれている。」
2枚目は、平和島競艇場。写真の左下に映っているのがそれ。
1マーク側に大井競馬場があるのは今と同じ。ただ、競艇場と競馬場をつなぐ道路がまだできていませんでした。
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注目は、競馬場の上にある小さなトラック。
これが、大井オートレース場です。
「オートレース二十年史」によると、同場で初めてレースが行われたのは、昭和29年11月28日。ですが、その後、都知事がギャンブル廃止論を打ち出し、プロ野球選手が関わった八百長が明るみに出たせいで、昭和48年に廃止される運命をたどりました。
それにしても、これだけの近い距離に競艇、競馬、オートレースが固まっていたなんて、公営ギャンブルファンにとっては夢のよう。
ちなみに「競艇沿革史」によると、昭和38年の平和島競艇では周年記念(現在のトーキョー・ベイ・カップ)と施設改善記念(現在のダイヤモンドカップ)が開催され、節間の売上額は、いずれも2億1000万円あまりでした。
まったく話は変わりますけど、もう20年くらい前に、テレビ東京で土曜日の夜9時から放送されていた、関口宏が司会の「テレビあっとランダム」という番組をご存じですか?
番組のエンディングでは、昭和初期の東京の街並みが写真で紹介され、続いて当時のビデオ動画が流れて、東京の今と昔を比べるという内容でした。BGMは中島みゆきの「時代」。
とても好きなテレビ番組のひとつでした。見るたびに、「へえ、東京ってこんなところなんだ」と感動し、「高校を出たら東京だ!」と期待に胸をふくらませていたなあ。
まさか上京して公営ギャンブルに染まってしまうとは、まったくの予想外でしたけど(^^;。
3月 25










